2015年03月06日
地域こども学科教員の澤田博です。
1月23日(金)の夜に東京での作品発表(《平和への序奏》の初演)を終え、翌24日に地域こども学科成果発表会で《オズの魔法使い》第1幕「旅立ち」を上演するために午前4時起床、5時にホテルをチェックアウトして6時発の新幹線のぞみ1号(始発)に乗り込みました。
8時過ぎに京都で近鉄に乗換え、9時過ぎに近鉄郡山駅に着きました。会場であるやまと郡山城ホールには9時20分ごろ到着しました。
荷物を運んでくださった増井啓子先生や出演学士(音楽フィールド2回生)は既に会場入りして、背景や道具類は舞台上にありました。
ゲネ・プロでは、ピアノと家や樹・草(の置物)の位置を決めてから、場面ごとの照明を設定し、いったん緞帳を下ろして通し稽古を開始しました。 木曜日の授業最終回では途中で何度か止まってしまっていたのですが、前日に学生が自主練習したとのことで、せりふも動きもほぼ入っていました。
ゲネ・プロの後は楽屋へ戻って衣裳とメイクに掛りました。特に大変だったのが“ブリキの木こり”で、全身にアルミホイルを巻き付けていくと「暑い、暑い」となりました。そのほかドロシーは本人手作りのチェック模様の洋服と銀の靴、北の国の魔女は涼しげな淡いブルーのドレスに冠、ライオンは本番直前に着ぐるみを被ることにして出番前に1回生のお手伝い、そしてかかしも帽子や衣装を整えて本番を待ちました。
さていよいよ本番です
—緞帳が下りた中、連弾によるピアノが前奏曲を静かに弾き始めました。〔楽譜1〕
嵐を表す部分の終りに幕が上がり、ドロシーが登場して
「わたしはドロシー」と歌い始めました。〔楽譜2〕
途中、ドロシーが履き替えた靴がハケナイという緊急事態が起きましたが、
ドロシー自身がその靴を袖に投げるという機転を利かせて難無きを得ました。
魔女、かかし、木こり、ライオンがそれぞれに自己紹介する歌〔楽譜3~6〕をうたい、せりふの遣り取りでしばいが進み、5人?がエメラルドの都へ向かって歩き出すところでいったん幕が下りますが再度幕を上げ、アンコールとして用意した「あの虹の彼方に」をピアノ連弾の2人を含む全員が合唱して、何とか無事に上演することが出来ました。
今回の上演に当たり、当初はせりふを含めたすべてを歌う予定でしたが、そうすると膨大な量の歌を覚えることが必要となり、とても授業回数の中では達成できないことが判ったので、それぞれの人物が登場した時だけ歌うように変更しました。
また今作は元から“うたしばい”と名付けていたのですが、これはドイツやオーストリアで18世紀後半から19世紀前半にかけて盛んに上演された歌とせりふの混在した劇<ジングシュピール>をイメジしています。モーツァルトの「後宮からの逃走」や「魔笛」は現代では歌劇と呼ばれていますが、本来ジングシュピールです。またベートーヴェンの「フィデリオ」も歌だけでなくせりふを含んでいます。
作曲に当たっては、自然と(あるいは単純に)聞こえるメロディでありながら、実際には不意な転調やフレーズの切り方、和音づけに工夫(仕掛けと言ってもよい)があり、ありきたりの音でないことを目指しました。
例えばドロシーの歌にあるEisやBの変化音、魔女の歌では4分音符からタイで繋がる16分音符4個の組合せというリズムの落差と第2ピアノの伴奏にあるタンゴのリズム、かかしが歌う中間部の早口言葉、木こりの歌の途中にある突然の転調と速度の変化、またライオンの歌にある上行跳躍を繰り返す音程など。
学生達は「音楽Ⅰ・Ⅱ」や「保育(表現・音楽)」の授業で歌う経験を積んでいますが、(こどものうたとは)音楽の色合いが全く異なるので戸惑いが大きかったことと思います。
練習に関しては、「11月下旬に実習明けには暗譜」が「12月下旬には暗譜」になり、さらに「1月頭には暗譜」…と段々日程がずれて来て、また12月後半からは立稽古も入るなど、普通に授業を受けながら「オズ」にも時間を懸けないといけない—出来具合は本人がよく判りますから—というプレシャーの中、最後には全員が集中して立派に上演してくれました。
頑張りを見せてくれた7人の学生諸君と、共にご指導いただいた増井啓子先生—実に大道具(家の絵、樹木、草)や斧や帽子など持ち物の制作は、先生のご指導がなければ出来ませんでした—に感謝します。そして家や樹木・草を製作してくれ、本番では照明室に入ってキューを出してくれた1回生にも感謝したいと思います。2回生には、今回の取組を将来自分の仕事の上で役立てること、1回生には来年の発表に活かしてもらえることを願っています。